2009.11.26 パリ クリスマス・イルミネーション

街はもうNoël一色。 普段通るモンマルトルの通りもイルミネーションがとても綺麗に輝いている。 
 
今日は夜、友達に誘われて、パリのシャンゼリーゼ大通りのクリスマス・イルミネーションを見に行ってきた。 
 
コンコルドの駅につくと、今まで全く気付かなかった観覧車がおかれていることにまず驚いた。 白一色に輝いていて、とてもきれいだった。 
théâtre

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2009.10.06 南仏旅行(エズ)

 今日はニースから東へ10km程入ったところにある、エズに行ってきた。 

エズ (Èze)。 日本では馴染みが少ないが、鷲の巣として有名な場所である。

大きな岩山に村ができており、既に紀元前2000年前には人が住んでいたというから驚きである。

ニースからバスで30分ほど、バスを降りるとすぐエズの岩山が見えた。 多くの観光客で賑わっていた。

ひたすら坂道を上がると、岩の至る所にギャラリーやレストランが営業していた。 通りに出ている看板がとても可愛らしい。

少し、雰囲気がモン・サン・ミッシェルに似ている気がした。

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2009.10.05 南仏旅行(ニースの美術館巡り)

 今日は第一日曜日、ニース中の美術館が無料になる日である。 まずはマティス美術館へと行った。 

マティス。 フランス20世紀を代表する画家の一人で、点描主義で有名である。

美術館には点数は少なかったが、彼の作品が展示されており、特に切り絵風の絵が印象的だった。

全体的にとても抽象的な絵が多く、絵画というよりも装飾に近いものが多かった。

次にシャガール美術館へと足を運んだ。

シャガール。 ロシア生まれのユダヤ人のフランス画家で、ユーモアと幻想性に溢れた彼の作品は日本でも人気が高い。

またパリのオペラ座の天井画も彼によって手がけられた。

美術館は主に旧約聖書の記述を元にした絵で占められていた。 色彩がとても独特で、また詩的で、幻想的な世界が広がっていた。

日本語のオーディオを用意されていたので、よく深く彼の作品にこめられた思いを知ることができた。

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2009.10.04 南仏旅行(ニース)

 今日、夜行列車でニースへと到着した。 パリとは全く違う南国の雰囲気である。

ニース。 南フランスの地中海に面する都市で、世界的に有名なリゾート地である。

紀元前5世紀ごろギリシャ人によって作られ、以来今日まで幾度となく、他国の占領を受けた。

駅からトラムへ乗り、予約してあったホステルへと向かった。

ニースの公共の交通機関はとてもよく発達して、中央にはトラム、そしても網目のようにバスが走っている。

トラムもバスも距離に関係なく1ユーロで、74分以内なら乗り換えも無料である。

またこのバスはニース市内だけではなく、エズやモナコ、マントンまでつながっており、同じく1ユーロで行くことができる。

ホステルはニースの中心から少し離れたところにあったが、トラムの駅から無料のシャトルが15分ごとにあり、特に不便さは感じなかった。

このホステル、世界ホステルランキングでトップ10に入り、フランスではNo1に輝くなど、非常に設備の整ったホステルだった。

レストラン、バー、インターネットカフェが施設内にあり、廊下にはフランスの印象派の画家の絵(といっても本物ではないが。)がずらりと飾られ、またレストランには大きなステンドグラスがあるなど、内装もしっかりとしていた。

朝食も他のホステルと比べるとはるかに充実していて、朝食込みで一泊18ユーロ、パリでは考えられない料金設定である。

スタッフの感じもとてもよかった。 みなプロ意識が高く、スタッフ一丸となってホステルの価値を高めようとしている感じだった。

夕食は専任の2人のシェフによって作られ、内容も本格的で、メインが一皿、6.5ユーロととてもリーズナブルだった。

荷物を置き、ニースの中心地へと向かった。 とても暖かく、半そでで十分だった。

街の中心は、とても活気があって、観光客で溢れていた。 ニースの海は、沖縄の海のように透き通っていて、とても美しかった。

さすがに10月にもなると泳いでいる人は少なかったが、それでも肌を焼いている人や、泳いでいる人がそれなりにいた。

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2009.9.17 オランダ旅行(ハーレム)

今日はアムステルダム近郊の街、ハーレムへと行って来た。

ハーレム。 アムステルダムより西へ20km北海沿岸の街である。

ニューヨークにあるハーレムも、もとはオランダの入植者がつけた名前である。

街の中心には教会があり、5000本ものパイプを持つ、世界でも有数のパイプオルガンがある。

電車にのること10分。 ハーレム駅へと到着した。

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2009.9.16 オランダ旅行(アンネフランクの隠れ家)

今日は午後、アンネフランクの隠れ家へと行って来た。

ナチスドイツに連行されるまで2年の間、「アンネの日記」が書かれた、本当の隠れ家である。

アンネフランクは第二次世界大戦前、ドイツのユダヤ人の家庭に生まれ、戦争中、ナチスドイツの迫害を逃れ一家全員でここアムステルダムへと移住してきた。

父親はジャム製造会社の社長で、表向きは社員が社長になり、ヒース夫妻をはじめとする協力者が一家の生活を支えた。

その当時、ユダヤ人をかくまうことは相当な勇気のいることだったと思う。 当時の世相に流されず、自らの意思で善悪の判断を行った人は心からの尊敬に値する。

日記は小さい頃読んだことがあったが、ほとんど記憶に残っていなかった。

改めて日記の断片を読むと、この絶望的な状況で13歳の少女が書いたと思えないほど、生き生きと、そして社会や大人を客観的に見ていた。

一度も弱音を吐いたりはしてはしてなかった。 しかしながら、彼女の運命はとても残酷なものだった。

父親を除いて、一家全員が収容所にて処刑され、または病死した。

2009.9.16 オランダ旅行(ザーンセスカンス)

今日はオランダ、近郊の町、ザーンセスカンス(Zaanse Schans)に行って来た。

ザーンセスカンス。 昔ながらの風車が残る街で、古き善きオランダの風景を見ることができる。

アムステルダムからバスで行くことができる。

到着するとすぐに風車が並んでいるのが見え、間近で見るとその大きさは圧巻だった。

風がとても強く、ものすごい勢いで、回転していた。 自然の力の強さをまじまじと見せ付けられたようだった。

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2009.9.15 オランダ旅行(アムステルダム国立美術館)

今日はアムステルダム国立美術館へ行ってきた。

アムステル国立美術館は質量ともにオランダ一を誇る美術館で14世紀から19世紀までの絵画、約5000点が展示されている。

さかのぼること、400年前、17世紀はオランダの世紀とも呼ばれ、この小さな国、オランダが世界中の海の覇権を握っていた時代であった。

小さい頃、なぜ鎖国時代に、強大な中国に並んで、ヨーロッパの小国、オランダだけが貿易が許されていたのか、ずっと疑問に思っていたが、

その当時、オランダがヨーロッパ最大の貿易国だったのである。 またアメリカもインドも元はオランダの植民地だった。

オランダには世界中の富が集まり、裕福な貴族、商人たちのためにヨーロッパ中の芸術家が集まった。

この美術館はその栄光を物語っているように思える。

なお、オランダは17世紀後半に行われたイギリスとの戦争、イギリス・オランダ戦争によって敗れ、世界の海の制海権は、その後、イギリスへと移っていった。

数多い、オランダの芸術家の中でも最も有名なのは、レンブラント。

2009.9.14 オランダ旅行(アムステルダム)

昨日、急遽アムステルダム行きのチケットを購入し、オランダを旅行することにした。

ぎりぎりまで北欧か、ドイツか、オランダか、悩んでいたのだが日程の関係とチケットの安さからオランダに行くことに決めた。

つい二日前のことである。

オランダ。 人口1600万人、国土は約4万km2。 北海に面した比較的小さな国である。

オランダは風車で有名だが、これはオランダの国土のほとんどが海面より低く、湿地帯の排水のために作られたものである。

オランダでは19世紀の最盛期には約9000もの風車が作られたが、今では数は少なく、ほとんどが観光用となっている。

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2009.9.6 サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の旅 11日目

朝、起きると既に外はとても明るかった。 階段を下りると、昨日の賑やかさとは打って変わって静かだった。 

それでも誕生会パーティの痕跡がところどころに見られた。 

家の周りを散歩した後、お昼ごろみんなで朝食をとった。 昨日と変わらずみな、明るかった。 本当に絵に書いたように仲のいい家族である。 

誕生日を迎えたフランソワーズが娘さんに、お菓子の包み紙で作ったカードケースをプレゼントされ、とても喜んでいた。 

部屋に戻り、この手作りの家をたくさん写真に収めた。 将来、こんな風に家を自分で作って住めたらどんなにいいだろうか。 どれだけ愛着が沸くかわからない。 

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