旅(オランダ)

2009.9.17 オランダ旅行(ハーレム)

今日はアムステルダム近郊の街、ハーレムへと行って来た。

ハーレム。 アムステルダムより西へ20km北海沿岸の街である。

ニューヨークにあるハーレムも、もとはオランダの入植者がつけた名前である。

街の中心には教会があり、5000本ものパイプを持つ、世界でも有数のパイプオルガンがある。

電車にのること10分。 ハーレム駅へと到着した。

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2009.9.16 オランダ旅行(アンネフランクの隠れ家)

今日は午後、アンネフランクの隠れ家へと行って来た。

ナチスドイツに連行されるまで2年の間、「アンネの日記」が書かれた、本当の隠れ家である。

アンネフランクは第二次世界大戦前、ドイツのユダヤ人の家庭に生まれ、戦争中、ナチスドイツの迫害を逃れ一家全員でここアムステルダムへと移住してきた。

父親はジャム製造会社の社長で、表向きは社員が社長になり、ヒース夫妻をはじめとする協力者が一家の生活を支えた。

その当時、ユダヤ人をかくまうことは相当な勇気のいることだったと思う。 当時の世相に流されず、自らの意思で善悪の判断を行った人は心からの尊敬に値する。

日記は小さい頃読んだことがあったが、ほとんど記憶に残っていなかった。

改めて日記の断片を読むと、この絶望的な状況で13歳の少女が書いたと思えないほど、生き生きと、そして社会や大人を客観的に見ていた。

一度も弱音を吐いたりはしてはしてなかった。 しかしながら、彼女の運命はとても残酷なものだった。

父親を除いて、一家全員が収容所にて処刑され、または病死した。

2009.9.16 オランダ旅行(ザーンセスカンス)

今日はオランダ、近郊の町、ザーンセスカンス(Zaanse Schans)に行って来た。

ザーンセスカンス。 昔ながらの風車が残る街で、古き善きオランダの風景を見ることができる。

アムステルダムからバスで行くことができる。

到着するとすぐに風車が並んでいるのが見え、間近で見るとその大きさは圧巻だった。

風がとても強く、ものすごい勢いで、回転していた。 自然の力の強さをまじまじと見せ付けられたようだった。

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2009.9.15 オランダ旅行(アムステルダム国立美術館)

今日はアムステルダム国立美術館へ行ってきた。

アムステル国立美術館は質量ともにオランダ一を誇る美術館で14世紀から19世紀までの絵画、約5000点が展示されている。

さかのぼること、400年前、17世紀はオランダの世紀とも呼ばれ、この小さな国、オランダが世界中の海の覇権を握っていた時代であった。

小さい頃、なぜ鎖国時代に、強大な中国に並んで、ヨーロッパの小国、オランダだけが貿易が許されていたのか、ずっと疑問に思っていたが、

その当時、オランダがヨーロッパ最大の貿易国だったのである。 またアメリカもインドも元はオランダの植民地だった。

オランダには世界中の富が集まり、裕福な貴族、商人たちのためにヨーロッパ中の芸術家が集まった。

この美術館はその栄光を物語っているように思える。

なお、オランダは17世紀後半に行われたイギリスとの戦争、イギリス・オランダ戦争によって敗れ、世界の海の制海権は、その後、イギリスへと移っていった。

数多い、オランダの芸術家の中でも最も有名なのは、レンブラント。

2009.9.14 オランダ旅行(アムステルダム)

昨日、急遽アムステルダム行きのチケットを購入し、オランダを旅行することにした。

ぎりぎりまで北欧か、ドイツか、オランダか、悩んでいたのだが日程の関係とチケットの安さからオランダに行くことに決めた。

つい二日前のことである。

オランダ。 人口1600万人、国土は約4万km2。 北海に面した比較的小さな国である。

オランダは風車で有名だが、これはオランダの国土のほとんどが海面より低く、湿地帯の排水のために作られたものである。

オランダでは19世紀の最盛期には約9000もの風車が作られたが、今では数は少なく、ほとんどが観光用となっている。

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